ひとつの祈りが、縄文の聖地と、渡来の記憶と、海の向こうの隣人をつないでいく。これは、一本の支流が海に還るまでの物語です。
ある年の夏、韓国の海辺を歩いていた。釜山から南を望むと、海の向こうにうっすらと対馬が見えた。歩き終えたら、あの海の向こうに住もう——理由はうまく言えないまま、そう決めていた。やがて福岡・糸島に暮らしはじめる。その土地は、思いがけず古い記憶をたくさん抱えていた。
対になる岩
糸島の海には、二つの岩が寄り添って立っている。大きな岩と小さな岩。相反するふたつが、対立ではなく、ひとつの風景として在る。陰と陽を切り離さない東アジアの感覚が、そこに静かに形になっているように見えた。
渡来と、縄文と
この地は、海の道でつながる場所だった。大陸から渡ってきた人々と、もとからこの島に暮らしていた人々。異なる流れが出会い、混じり合い、新しい文化が生まれていく。糸島は、その合流点のひとつだった。
祈りは、どこからでも
特別な聖地へ行かなければ祈れない、というわけではない。自分が今いるその場所で手を合わせれば、そこから岩戸がひらく。すべての場所が聖地であり、すべての場所が、はじまりの場所になりうる。統合と再生は、遠くではなく、足もとからはじまる。
この物語は、個人の巡礼の記録をもとに再構成したものです。歴史や神話の解釈には諸説があり、ここに記したのはひとつの見方にすぎません。